グアム・砲台

グアムは、太平洋の島である。1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の領土になった。

1941年から1944年までは、日本軍が占領統治していた(当時は「大宮島(だいきゅうとう)」と呼ばれていた)。近年はリゾート地としてのイメージしかないが、戦中は大国の情勢に左右されてきた歴史を持つ島である。大砲は戦争の名残りです。

経済面では、アメリカ軍と日本からの観光客が重要な位置を占めている。日本語では「グァ・ム」、「ガ・ム」と発音されることが多いが、近年は「グ・ア・ム」の発音も主流になっている。

グアムの歴史

グアム島に人類が住み着いたのはB.C.3000年〜2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。


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1521年にマゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達。1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、1668年にサン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになった。しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗は無くキリスト教文化が定着するようになったといわれている。1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲された。1941年12月8日に太平洋戦争が勃発。日本海軍は真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)、グアムへの航空攻撃を開始した。同月10日日本が占領したが、1944年8月に米国が奪還(グアムの戦い)した。以後、戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点として活用された。1950年にアメリカ合衆国議会によりグアム自治法 (Guam Organic Act of 1950) が制定され、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organaized unincorporated territory)」という政治的地位となり、スキナーが初の民間人知事となった。現在まで米軍の太平洋戦略上、重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本からの観光客を中心とした観光地、リゾート地として発展を遂げている。

グアムの地理

マリアナ諸島最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られた。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯である。最高所はラムラム山で標高406m。年間平均気温は約26℃。

グアムの観光

観光産業は、現在グアムの最大の産業の一つである。直行便が設定されていないアメリカ本土からの観光客よりも、東京や大阪などの主要都市から直行便で約3-4時間で訪れることのできる日本からの観光客が多くを占め、近年では同様に直行便のある韓国や台湾からの観光客も増加している。なお、ホテル・ニッコー・グアムやレオパレス・リゾート・グアムなどの日系のホテルも多い。

芸術・文化

伝統的な文化としてチャモロ文化がある。踊りではミクロネシアダンスが有名。グアムの芸術や文化に関する機関として「グアム芸術文化省」(Kaha)がある。ミクロネシア連邦のチューク州のプルワット環礁との結びつきが強く、プルワット出身の航法師が伝統的な航海カヌーによる航海術を教えている。

グアムの民族・人種構成

・チャモロ人:47%
・フィリピン系:25%
・他の太平洋諸島(FSMは、パラオ)、アジア(日本、韓国、中国、ベトナム): 10%